日日是奮闘。

産業カウンセラーとして活躍していきたい私の日常です。今までの勉強、日々のこと、将来のこと何でも書きます。

無遠慮のススメ

久しぶりに学生時代の友達と会って、ケーキバイキングに行ってきました。
平日休みの友達と、フリーランスで仕事が変動的な友達が含まれていたので、
私は容赦なく午後休取りました。

当初予定よりも仕事が立て込んできて、午前中はバタバタしていましたが、
「この休みは死守だ!死守!!」という強い気持ちで仕事をなぎ倒し、
無事に合流でき、おいしいケーキと懐かしい話に舌鼓を打ってきました。

本当に仕事って際限ないので、
「仕事が忙しいから、ケーキ食べに行けなくなった」と言うのは、いともたやすいこと。
・・・そして20代の時はそれが当然であり、仕事が優先であり、それが若干カッコイイとまで思っていた(気がする)。

でも30代になってから
「仕事ってヤツは遠慮がない」ということに気が付きました。
遠慮ない相手に遠慮してたら、自分がしんどいだけじゃないか・・・??

じゃあどうする?ということなのですが、
とにかく自分との約束を死守すること、大事にすること、
遠慮ない相手には遠慮なく接することを意識していきたいなぁと。

 

・・・・なんか真面目になってきたな(笑)


そりゃ、「午後に仕事トラブってないかな~(汗)」
「やり忘れて、迷惑かけてる仕事ないかな~(汗)」って
ケーキバイキングに向かう電車の中でふと思った瞬間もありました。

でも、待ち合わせの駅で久しぶりに友達の顔を見て、
ハグして
キラッキラに素敵なケーキたちを目の前にしたら、本とどうでもよくなてって(笑)
というか、午後休してることすら忘れて、元気よく食べるし、元気よくしゃべる!(←はしゃぎすぎには要注意(笑))

 

この時間、尊い!!!!!!!

思っていた三倍も四倍も楽しい時間を過ごすことができました。
幸せ。
こういう時間、大事!!!!!!


年を重ねると遠慮がなくなる、などと揶揄される時もあるけど、
「遠慮ない状況(=人ではなく、シチュエーション)が意外と周りに多い」ということに
気がつくってことなんじゃないかなーと。

自分の人生なんだから、自分に遠慮することがあっても、周りに遠慮しすぎることないよね。なーんて思ってしまいました。

適度に程よく無遠慮になろう。

本好きが考えるSDGs

久しぶりに本屋さんで本を買いました。
有隣堂という本屋が好きなのですが、文庫本のブックカバーが10種類ぐらいの色から選べるんですよね。
その日の気分や、購入する本のイメージ合わせて選べるのがよいです。
・・・とは言え優柔不断の私にとっては、レジ並ぶ前に決めておかないとアカンのです。
店員さんを困らせるつもりはないのですが、レジ前まできてぱっと選べるような人間ではない。私はそれを知っている(笑)

もともと本は好きで、昨年の後半より「本はどんどん買って読もうキャンぺーン」を自主開催中。
電子書籍はまだなんとなく「そうじゃない感」がぬぐえず、紙の書籍オンリーですが、
やっぱり本を買うとなると、収納スペースをお財布事情が気になる。
収納スペース問題は以前から抱えたままではありますが、もともと通勤電車の中でも読むことを想定しているので、
購入するのはもっぱら文庫本や新書本。「単行本よりは小さいし薄い」という呪文で心を静めています。

となると、問題はお財布事情。
とにかく「定価で買わない」をモットーとし、今日まで本を買い漁ってきました。
予め図書カードを金券ショップで買っておくことで、おおよそ3%の値引きで新刊本が買えます。
ショッピングモールのポインットをためて買うのもの一つ。
王道は古本屋ですね。

以前は古本屋にあまり印象を持っておらず「誰かが触った汚い本(←失礼を承知で素直に表現)」との印象がありました。
ただやはり、お財布事情を鑑みると背に腹は代えられないという気持ちがして。
もちろん、できるだけ状態がきれいな本を選ぶことに全集中しています(笑)

先日、地元の古本屋にふらりと入ると、以前から読んでみたいと思っていた内田百閒の「阿房列車」が並んでいました。
しかも、新潮社の現代仮名遣い版!
しかもしかも美品!!本当に中古か?という勢い。
しかもしかもしかも1巻と2巻が並んでいる!
これを運命をと言わずして何を運命と呼ぶのか、いや、これ運命なり。マジで。

思わず見るのはお値段ですが、裏表紙をぺろりとめくると「~~~550円」との文字。
店主の鉛筆書きの文字はもにゃもにゃとしていて、550円しか読めない。
でも明らかに550円の前に何かが書いてある(笑)
「全2冊で550円」と読めなくもないが、まさかそんなはずは。
美品ですぞ。
新刊でも1冊600円ぐらいしますぞ。

思い切って店主に話しかけると「1巻と2巻セットで550円です」
感激の鼻血。
550円ですという店主の「です」の「す」の「s」まで聞いたところで「これください」と2冊を差し出したのは私です。


阿房列車がすばらくおもしろい、という話はまた今度するとして。


順調に2巻まで読み終わった私がおりますが、実はこの阿房列車は全3巻。つまり、あと1冊あるのです。
これはすぐにでも読みたい。
運命の古本屋に3巻はない。古本屋あるあるですが、巻を追うごとに、売られている量は少なくなる。
とりあえず1巻を買う人はいても、とりあえず3巻を買う人はいない。
とりあえず買う人がいれば、中古市場にも流れる。

このまま中古市場で探すには日が暮れる。待てない。
私の心は今、発車ベルが流れているのです。発車したい。なう。

ということで、ふとそこに有隣堂があり、第三阿房列車が売っていたので、即決即買。
阿房列車を買うと決めるまでより、ブックカバーの色悩んでいる時間の方が長かった。まじで。

レジ列に並んでいるときにふと思ったのが、新刊書店で買うと、出版社や作者さんの懐にお金が巡るイメージがあるけれど、
中古本ってどうなんだろうと。
・・・・入らない気がする。。。。
阿房列車はまだまだ新刊書店で売っている本。
こんなに面白い本を出版し続けてくれている出版社に「ありがとう」という気持ちを持っていても、お金は巡らない。
出版不況とも聞く昨今。
大手出版社とはいえ、本を買ってもらえないと、本は作れない。
その循環が回らなくなくと、どんどん出版業界って先細るのかな・・・?
読みたい本が読めなくなるのかな・・・?

本屋さんが減っていることに寂しさを覚えることが多いですが、
じゃあ本屋さんで本買ってるの?と自分に問いかけるレジ前。
自分の会計順が回ってきたら、何色のブックカバーにするか記憶が読んでしまい大慌て(苦笑)
No more ぼんやり!!


阿房列車で言えば、古本屋に立ち寄ったから出会えた本。
新刊書店でも売っているとは言え、古本屋での「運命感」は本物なので大切にしたい。
その上で、第3巻を「安く買う」ということに固執しすぎず、新刊書店で買うという選択をした自分。
この3冊に限って言えば、バランスの良いお買い物ができたのかなと。

自分のお財布事情。
社会のお財布事情。
地域のお財布事情。

こういうのもSDGsとか言っていいのかな。
持続可能ななんとやら。

わたしをほぐす旅行2 ~勢いよく~

持ち越しにしていた阪急電車今津線の話し。


有川ひろさんの作品がすごく好きで、発売されるとすぐに買うぐらいです。
ただし、単行本だと収納スペースがないので、文庫本が出るのを本気で待つ。
本気と書いてマジと読むぐらい真剣に待つ。

昔から本を読むのは好きだったけど、「作家の〇〇さんの本は片っ端から読みます」という感情が芽生えたのは有川さんが最初でした。
どの本もハズれなし。

特に好きなのが「阪急電車」でした。
阪急電車今津線の沿線で繰り広げられる人と人とのストーリー。
袖振り合うも他生の縁とはこのことよ。

文庫本は何度も何度も読んだし、映画も見た。
女友達へのプレゼントに悩んだら、とりあえず「阪急電車」あげるぐらいの勢い。
あげすぎて、誰にあげたかをメモっておかないと2重で渡しそうな勢い。
2重で渡してもいいよね、1冊寝室、1冊リビング、またはトイレに置いておいてもよいよね、ぐらいの勢い。

映画の聖地巡礼とも言えるし、本の聖地巡礼ともいえる今回の今津線の旅。

大阪の鉄道が入り組みすぎていて、ホテル最寄り駅からどう行けば今津線にたどり着くのか
本当に謎めいていましたが、近鉄様のおかげで無事に今津へ行けました。
ちょうどいい塩梅に三宮行きの急行が出ていたのは、正に天の啓示。


本当は宝塚から西宮北口駅を目指したかったけど、西宮北口スタートからの宝塚折り返しに。


まずは西宮北口のコンコースで、西宮北口の章を読む。
本の中の光景が目の前にあるというのはなんという没入感。
思わず、本の中の登場人物を探しかねん勢い。
いや、探すでしょう。

ひと駅乗って、門戸厄神駅。
電車を下りる。
改札内にある駅スタンプを雑記帳に押す。
ホームに戻り門戸厄神駅の章を読む。
ミサと康江が座ったであろうベンチに座って読む。

なんという贅沢。
極上の贅沢。

もう少し暖かい方が、ホームで本を読むのには適していたけど、
また暖かいときに来ようという気持ちは最高の土産だと思う。


短い今津線でのハイライトは小林駅(と私は勝手に思う)。
「小林はいい駅よ」という時江のセリフ。
映画だと宮本信子さん。素敵すぎる・・・・!!
小林駅はいい駅だという情報のみで降りる。のんびりとした駅。
駅周りをちょっとぐるぐる。
もう少し遠くまで歩こうかと思ったけど、傾いた夕日がちょいと気になり、そこそこのところでUターン。
また次に来よう。

そして小林はもう一つ。
祥子とショウコが出会う駅。
中谷美紀さん演じる祥子がりんと座っていたベンチに座って、小林の章を味わう。
これですよ、これ。
これがしたかったし、これを求めていたし、これが贅沢なのだと。

夕日が差し込む小林駅。
ホームに滑り込む阪急電車
日陰。
降りる人、乗る人。
ベンチ。
出発のモーター音。
また差し込む夕日は一層色が濃くなっている。


あまりに自然の光景に、何度電車を見送ったことか(←変人の極み)


小説「阪急電車」は、スペシャルなことは何も起きない。
ただ毎日があり、奇跡はその毎日の中にふと現れる。それってよくない?と思わせてくれる。
もちろん袖振り合うも他生の縁で出会うすべてが奇跡なんだけど、
ギラギラの奇跡じゃなくて、水滴がたまたま偶然コップに落ちて波紋がきれいだね的なそんな感じの奇跡。
奇跡って英訳するとミラクルっていうけど、そんなクルクルな感じじゃない。
ただ読み終わったあと、すっくと立ち上れるようなそんな本です。

そしてそんな本の舞台もまさにその通りで。
本当にふつーーーーの電車、ふつーーーーの駅。
(もちろん私にとっては聖地ですが(笑)))
でも、何かが起こりそうな、起こらなさそうな、ごくごく自然に電車来るよね的な。


車とも違う、電車の画一的な感じは「繰り返す日常」を色濃く印象付ける気がします。
特に日本の鉄道は時刻通りに来て、決まったところにきちんと止まり、
人を下ろし、人を乗せまた定刻通りに去っていく。
金太郎あめのようにも見えるけど、車両も違うし乗っている人もいつも違う。
よく見ると、繰り返す日常なんてないんだよ、という結論を発見。
すごいぜ、阪急電車(←違)


繰り返す、と言えば最後に。
宝塚駅に電車が滑り込む時。
川を渡り、宝塚劇場が見えてくる光景を動画に収めたく、スマホのビデオを回していました。
宝塚駅で満足げに動画を再生するとなんと河川敷に「生」。
生!
生の文字が!!!
(生は「なま」と読みましょう)

まさかこのアートがまだ残っているとは!!
これも小説「阪急電車」ではキーポイントとなる聖地のひとつ。

わが目でもう一度見たい!!写真に収めたい!!!
・・・・・と思い、シャッターチャンスを狙い宝塚南口駅と宝塚駅を3往復したのは内緒の話し。

わたしをほぐす旅行。

大阪と名古屋にちょろりと旅行してきました。
ちょろりという割には、有休も使って3泊4日。
正直いずれも大都会への旅行なので、あまり綿密なプランニングもせず。

私は公共交通機関を使っての旅行が主なので、
いつもは鉄道の時間などざっくりと、でもわりと綿密に下調べして
旅行に出ることが多いですが、
いずれも大都会ですので、行きたいことやりたいことだけピッピッとリストアップするのみに。
あとはなんとかなるでしょうと。

「何が旅行の目的か」と聞かれると、これといった軸もなく、
「いやー、いろいろ行きたいところがあって」とことしか言えず。
今までであれば、旅行には目的があり、それを軸としてプランニングすることが
多かったように思うし、それが旅行であると思っていましたが、
3月上旬からちょうど読んでいる内田百閒の「阿房列車」の影響か、
旅に目的がなくてもいいじゃないか。という気持ちに。

内田百閒は、何の目的もなく大阪に行ったではないか。
なら私も目的なく大阪に行ってもいいではないか。
(ただ、内田百閒は一等車に乗るという目的があったかのようには思うが(笑))


ただ、よくよく考えれば、2023年にやりたいことに書いていた以下の項目を効率よく制覇してきていました。
阪急電車今津線に乗って、小説「阪急電車」の聖地巡礼をする
・大阪慶沢園に行く
近鉄特急ひのとりに乗る
リニア新幹線館に、父親を連れて行く

・・・・・めでたく立派に鉄ヲタ化。


今津線のことは長くなるので、また別に書き記そう。


特急ひのとりは昨年のしまかぜに続く、近鉄特急。
しまかぜ乗車時はあいにくの天気でしたが、今回は晴天。
もちろんプレミアムシートで優雅に大阪から名古屋へ移動。

包み込むようなバックシェルのシートは、2時間を超える旅の疲れなど一切無問題。
大阪⇔名古屋は新幹線と近鉄と選択肢がありますが、
時間はかかるが、料金は安く、ゆったりとした気持ちで行ける近鉄を一押しします。
車窓を流れる景色ものんびりしており、大変気持ちがよいです。


「何事も早いのがよい」というような発想になりがちですが、
日々の仕事がスピードやコスト重視の中で生きているので、
旅行に来ると、少し歩速を落としたくなるのかも。


自分の足で歩くということは、周りの景色もマイペースに流れていくようで、
とても気持ちがよい。
新幹線の車窓は景色が飛んでいくようで、長く見てられないけど、
特急の車窓は、タタンタタン タタンタタンという目に優しいスピードで流れていく気がします。
もちろん、目的地まで一目散に向かってくれる新幹線も好きですが、新幹線は目的でなく手段のイメージ。


日本庭園をのんびり見るのも似たような発想かも。
慶沢園は大阪天王寺にある元・住友家の日本庭園なのですが、
あまりにも景色がよく、ほげーーーーーーーーーーーーっと1時間以上滞在。
なんもしないのよ。
ただ、視点場であると思われるお茶屋から庭見てるだけ。
さすが七代目小川治兵衛の作庭だわーーーーとか思いながら、頭空っぽに。

滝の音が聞こえてくるからかもしれませんが、ギュッと濃密になりすぎた体の中が、
水を得てほろほろとほぐれてくる感じです。
自分自身がフリーズドライ化していたことを実感します(笑)


今年はたくさん旅行に行こう。
そう思った3泊4日でした。

人間ドック戦記。

おはこんばんにちは。

よねちです。

はてブはじめてます。

 

年に1度人間ドックに行き始めて早数年。

会社から費用補助が出るのはありがたい(ー人ー)

 

人間ドック専門のクリニックに行っているのですが、雑誌がいろいろあって本好きな私としては待ち時間も全然ウェルカム!という感じ。

むしろ、さくさく終わってしまうと残念に感じるぐらいでした。。。

でも去年今年はなんだか雑誌の数が減っていてちょっと寂しい感じも。

コロナ禍とか経費節減とか、時代の流れなんでしょうね。

 

実は私「左右盲」でして、ぱっと「右!」とか「左!」とか言われると

瞬間的に「お箸持つ方どっち?!」と考えないとわからないんです^^;

普段はほとんど問題ないのですが、戦いを強いられるのが

・視力検査

・胃のバリウム検査

 

最近の視力検査は、機械を覗き込み、輪の切れ目の方向に手前のレバーを倒しすものなので、

どんとこい!的な感じなのですが、昔の学校にあったような壁に貼ってある一覧表を上から読んでいく形式は地獄です(笑)

 

看護師さん「はい、これは?(どこが切れていますか?)」

よねち「・・・み、みぎっ!(必死)」

 

見えてないわけじゃない。見えてるんだけど右と左がとっさに出てこない。

「みだり!!」みたいな謎の発言も飛び出す始末。(←どっちやねん)

小さい頃は指で右や左を差すことで、許してくれた看護師さんも多かったですが、齢30歳を超えた人にそれは許されず(笑)

見える見えないじゃない次元の戦いを強いられています。

 

上からひらがなを読ませるタイプの視力検査もあり、そっちの方がありがたいのですが、

まさかリクエストすることもできず(笑)

・・・・・リクエストできるんですかね?(笑)

 

ちなみに、機械を覗き込むタイプの視力検査が自分の体質に合わないようで、

右目0.4、左目1.5みたいな謎の視力結果が毎度出ます。

人間ドック的には右目はNGの値なので、眼科へ直行。

眼科の視力検査は壁に貼ってある一覧表を読み上げるタイプ。

右と左の死闘(笑)

戦いの結果は、だいたい両目ともに視力0.8ぐらいに収まるので、経過観察になります。

 

・・・・・必ず戦いを強いてくる、視力検査・・・許すまじ!!(違)

本当に弄ばれている感がすごいんですよね。。。

 

何はともあれ、目は大切にしましょう。

【大学】入学しました!

おはこんばんにちわ。

よねちと申します。

はてブ始めてます。

 

仕事から帰ると、小脇に抱えられるぐらいの小包が届いていました。

待っていた放送大学からのテキスト送付でした。

どっと疲れた金曜日に一服の癒し・・・というさわやかな感じではないですが、仕事の疲れでもくもくもやもやした世界に、春一番がびゆうっと吹いて、霧が晴れたような感覚。

冬がおわり、春が来た。

あっちの世界とこっちの世界。

こっちに世界に吹き飛ばされてきたので、仕事のことはすっかり忘れて、週末の休みに入れたように思います。

 

分厚いテキストは2冊。

・臨床心理学概論

・心理学統計法

まがまがしく、いかつい名前の科目ですが、仕事のもやもやに比べたら、どこからかじってやろうかと、クライマーの気分です。

 

1日は24時間しかないので、時間の使い方を見直すいい機会。

通勤定期も3月初めに定期も新調したので、一足先に新年度感です。

 

 

 

日曜日の夕暮れ時を何と呼ぶか?

おはこんばんにちわ。

よねちと申します。

はてブ始めてます。

 

日曜日のこの時間帯は嫌いです。

16時~19時ぐらい。

いわゆるサザエさんタイムなので、世のサラリーマン・OLさんは同じかもしれません。

この時間帯が好きな人がいたら、本当にどんな過ごし方をしているのか聞いてみたい。

本当に。本当に。マジで!!!(切実)

 

夕暮れ時ということと、休日の終わりと、明日からの日常が混とんとしてくる感じ。

普段意識していないような不安や焦りまで「なんか呼ばれました?」って具合に登場する。

マジで呼んでないです、はい。

 

去年は大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に夢中だったので、まだ気が紛れていた気もします。

仕方がないので、統計検定の勉強して意識をむりやり数式に飛ばします。びゅんびゅん(←「飛ばす」的なオノマトペ)。

 

「今日、上京すればよかったかな」

またこんな思いが交錯する。

いい加減にこの気持ちと決別したいなぁ。

(「上京」というのは、実家から一人暮らし用の家に帰ることです。テレワークが進み、都心から少しはなれた実家からも仕事できるようになり、実家への寄生率アップアップ。(苦笑))

 

昨年、産業カウンセラー養成講座を受けているときに、指導員の先生が

「不安や嫉妬などの、得も言われぬ気持ちは、心からすぐになくなることはない。だからこそ、ふわふわさせておくのではなく、「お前はここにいてね」と心に住処を作ってあげるとよい」

と言っていたのを思い出します。

 

なるほどねー。

 

似たような現象として、「もやもやした気持ち」があったときに「嫉妬」とか「不安」とか別の言葉に置き換えられると、少しすっきりすることはないでしょうか。

さらに「同僚への嫉妬」とか「仕事が期限通りに終わるか、という不安」とかより具体的な名前だと、その「もやもやした気持ち」をより客観視できるようになり、ほんの少し気持ちが安定する気がします。

 

そのためにも、産業カウンセラーとして成長するために「語彙力」ってすごい大切だなと思ってます。

もちろん自分のもやもやの名前を付けてあげるためにも。

 

 

さて、私の日曜日夕方の混とんとした気持ちをどう名付けましょうか。

 

うーん。。。。

 

・・・・夕暮れおばけ?(^^;)

 

 

あーあ・・・・語彙力のなさにがっかり・・・・orz